ミティラー美術館徒然草

新潟県・十日町市の濃緑の森にある美術館での日々の出来事・感じた事を、館長&スタッフが心の趣くままに綴ります。

子狐と遭遇!

 ミティラー美術館震災復興記念展のポスター&チラシに大きく登場してしまった、シルバー君。「復興の支えとなってくれた友」として館長がデザイン案を考えたのですが、、、確かにスタッフみんなに癒しを与えてくれる存在ではありますが、、彼の大事なお勤めの一つ「お散歩」を忘れてしまってはいけません。連日遅くまで続く開館準備で疲れが出てきていても、「あれ?おかしいなぁ〜今日はまだ…行ってないぞ?!ワンッ!」と目を光らせて飛び乗って来ます。彼の体にたとえ雪が降り積もろうとも、雨が降り当たろうとも、シルバー君のお勤めは絶対なのです!という訳で、やっぱり今日も車に乗って出発です。

普段は約9キロを走るシルバー君も、苦手なこの暑い季節はたったの4キロ。縄張りチェックをしながらゆっくりうろうろ走り、時々小動物を追いかけに道からそれたり逆走して、4キロほどお勤めしたらササッと車に乗り込みます。全開にした窓に前足と顔を出し、気持ちよい夜風を顔に感じながら鼻だけで縄張りチェックをするという横着ぶりを発揮。この姿は冬場の雪堀り現場監督時を彷彿とさせますね。

 さて、そんなシルバー君との今夜のお散歩で子狐と遭遇しました!いつものように突然何かをとらえた彼は、猛ダッシュをして鼻をぴくぴく。なにやら側溝へ逃げていった陰が見えます。車から降りてそーっと近づいてみると、、、側溝の少し広くなっているところに怯えながらも賢明に威嚇をしている子狐の姿が!焦げ茶色のふさふさの身体にすっと尖った顔立ちが、暗さで一瞬黒と白に見えスカンク?!と思ってしまいました。珍しくシルバーも大きな声で吠えるので、彼を一端車に乗せてそこをあとにしました。側溝の上の林から音にならない音で鳴いていたのは兄弟か両親だったのでしょうか。驚かせてしまってごめんねという気持ちと、子狐に会っちゃったという嬉しさとで、少々複雑な気分でした。

(おまけ)シルバー君の二度目の逆走で窓から振り向いて後方を見たときに、すーーーーーと大きくて長い流れ星が目に飛び込んできました。今夜はみんな素敵なことがありますように…☆☆☆

スノーカントリーにマニプリの歌声が

81daea95.gif今日は昨日から降り始めた雪が40cmを超え、やっと3m位になった積雪が3m50cmになってしまった。3月も半ばだというのに除雪車が1日に2回入った。やはり寒い一日だ。しんと静まりかえって、鳥のさえずりさえ聞こえてこない。それでも雪雲が薄く、うっすらと青い空の色が心なしか透けて見えるようだ。しかしかなり降り続いている。

十日町の公演に合わせてマニプリ舞踊団の一行10名が到着したのは3月6日。宿舎になる元教員住宅へ行くには、道から高さが1m50cm位はある雪道の上を歩いて行かなければならない。美術館を見学してもらってから、用意した長靴に履き替えてもらう。イボチョウバ団長さんに聞けば、マニプリでは降っても7cm程度(手で表す)らしいので、皆さんすごい体験だったことでしょう。マニプリの皆さんが春を連れてきてくれたのか、滞在中は晴れの日が多く暖かな日が続いた。用があって宿舎に行くと、チャイをご馳走になった。マニプリの唐辛子(とても辛い)を分けていただいたり、館長が好きだからと干した納豆を手に一杯いただいたりした。

8日の情報館公演の最後のアイテムを見せていただいた。踊りの初めに鳴らされるゴングの響きが、観客を神々の崇高な世界へ導いていった。小柄で可愛らしいニミタさんのどこにそんなエネルギーがあるのかと思えるほど、手や腕の動きは流れるようで、美しい動きをともなって大変優雅に表現され、その流れは止まることなく、時に激しくステップを踏み、ジャンプしながらステージいっぱいに踊られた。他の4人の踊り手の皆さんの表現も豊かで、優雅で美しかった。静かで同じ繰り返しの動きの多いマニプリ舞踊だが、見るものを飽きさせない表現力の高さ、豊かさ、魅力があり、芸術性の高いグループだった。また、シュヤマさんの歌声は素晴らしく、マニプリの山々が見えてくるようだった。

久しぶりに雪が舞った昨日(3/12)は、マニプリ舞踊団の出発の日だった。月見亭の前にマイクロバスを横付けし、Mnの撮った写真のスライドショーを皆で見てからの出発となった。すでに5cm位雪が積もっていたので、バスの中でそれぞれ靴やサンダルに履き替え、長靴を受け取った。さようなら、お元気でという気持ちをこめて笑顔で手を振って見送った。僅かな滞在ではあったが、やはり別れは一抹の寂しさを感じる。その後、チェーンなしで八箇峠を無事越えられたと連絡が入った。

今日の鎌倉高校での公演も素晴らしかったとのこと。いよいよ明日は最後の公演だ。 (by Matsui)

スプリング カミン?!

0ebddc6e.gif毎年12月の初め頃には、越冬用の野菜をまとめて買って保存しておく。ジャガイモ、玉葱、キャベツ、大根、人参、白菜、ゴボウ、それに長芋、里芋、長ネギなどだ。しかし、毎年のことだが、必ずといっていいほど、春先には傷んでしまった野菜を処分せざるをえなかった。なかなか計算通りにはうまく使い切れないのだ。今年は数を少なめに抑えたし、昨年のように突然水が50日も出なくなるなんてこともないので、野菜の減りは順調だった。

先週新しいジャガイモの箱を開けたら芽が出始めていて驚いた。まだ2月になったばかりなのに。最近では白菜がかなり傷んでいて、思わず、もったいなーい!と声に出してしまったほど。まだまだ白菜漬けにして食べたいのに。もう4個しか残っていないうちの3個は、傷んでいた所を取ったら、元の大きさの3分の1くらいになってしまった。大根もそうだ。そう言えば1月の後半に暖かい日があったが、3月から4月初旬の暖かさだと天気予報で言っていた。野菜たちはどんなセンサーを持っているのか、温度変化を感じ、春と勘違いしてしまったに違いない。

昨日窯入れだけ行ったテラコッタの今日(2/15)は火入れの日。いよいよ制作されたテラコッタに命がふきこまれるのだ。ララさんと朝公民館に向かった。今週末の「十日町雪祭り」の準備で、道路の除雪が急ピッチに行われていた。本来の道幅を出すために雪庇を落とし、雪壁を削り、ロータリーで飛ばし、あるいはダンプカーで運びといった具合に。町なかの家の屋根には雪がほとんどない。道路は、昨日、今日の雨でアスファルトが出ていた。それだけでも春めいた景色だった。「スプリング カミン」とララさんが言った。私もそう感じはしたものの、まだ2月の半ばだから、まだまだ寒波は来るし、雪は降るんだよと言いたかったのだけれど、運転していたので、とっさには言えなかった。

夕方資料を探しに美術館に行って、しばらくして戻ろうと外に出たら、靄がかかっていて小雨が降っていた。雪降ろしでできたいくつもの小高い雪山を上り下りしながら歩いていると、左手のブナの森から「ホホー、ホッホホホー」と今年初めてのフクロウの鳴き声が大池に響いてきた。自分の耳を疑って、歩みを止めた。サクッサクという少し緩んだ雪の上を歩く自分の足音が消えた空間に、再び「ホホー、ホッホホホー」と響いてきたのだ。やはり春がきたのかもしれない。(by Matsui)

生越さんのこと

私がミティラー美術館に関わるようになって早20数年、毎週週末に訪ずれるようになってからでも、もう10年ほどになる。当初はまだ30代だった私も、今は年金を受給する年齢になった。

最近は、次の世代にバトンタッチすることを真剣に考えることが多くなった。それと言うのも、地震でまだ美術館は復興途中なのだが、若い世代の人たちMnやRnが館長を逞しくサポートする姿に接し、「頼もしい」、「任せられるかも」といった感じが確実にするようになったせいかもしれない。

長谷川氏は、独自のコスモロジーをベースにして廃校を借りて美術館を設立した。今もそうなのだが、あの空間には文化の香りが満ち満ちている。今の日本の社会の中で、そのような空間は、全体としてみれば稀有に等しいと思われる。人間の暮らしの中で、文化の重要さはいわずもがなだが、その位置が日本の社会では軽視されがち。だからこそ、存続させることが大切だと思う。

館長は、多くの方の協力を得てここまでやってこれた。それは、長谷川氏の個人的な魅力(外見ということではなく)によるものと思う。その最大の協力者は、何といっても昨年逝去したスタッフの生越紘美さんだ。彼女は、長谷川氏のコスモロジーに深く感銘し、その活動をサポートすることを人生として選択した。穿った見方をする向きもあったけど、彼女はそんな雑音は無視して信念を貫いた。

私よりも何年か前から大池にいた生越さんには、当初からさまざまなことを教えられた。私たちは、何度も、そして何時間も人生について語り合った。年齢も近い。共に団塊の直前の世代で、当初から価値観を共有するものがあった。いわば同志ともいえる存在であった。

生越さんが亡くなったとき、これほど悲しい人の死があるだろうか、無条件に涙だけがこぼれた。私は両親も兄も亡くしている。しかし、ここまでの悲しみはなかった。きっと子どもや愛しい人が亡くなったら、このような悲しみを経験するんだろうと改めて感じさせられた。

彼女は亡くなっても、その存在感は今も強い。あの時、彼女はこれをこのようにしたとか、大池での生活の細部にわたってその存在はゆるぎなく感じさせられる。しかし、今ここにいないということは確かなのだ。素直にそのことを受け入れられるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。今はともかく、冥福を心よりお祈りしたい。(by Hasunuma)

頭痛の種 「雪」 再び…

dead6cc9.jpg氷点下37度の寒波が過ぎ去り落ち着き始めたと思えたこの森に、再び雪が降り始めました。「今年はもう終わりになると良いね」と話していた矢先の夜のこと。先日隣村の赤倉へ様子を見に行った館長は、25軒位ある赤倉の状況は大池よりも大変だと見てとれたと言う。館長の話を聞いていると、赤倉小学校へ通っていた私が学校の配りもので回った村の家並みが立体モデルのように浮かび上がってきました。赤倉は大池と違って隣家が近かったり、細い坂道の間に建っている家もあれば、道路から少し離れた所にある家も多いのです。村の方が圧雪していた昔と違い今は車を使う時代だから、雪掘りをしてもその雪を除雪する作業も必要なのだと言っておられたそうです。雪災で十日町市から大池と赤倉で1台の立派なバックホー(半分ゴム付きでありながら美術館のユンボ君より高性能且つ大きい!)が借りられることが決定し、とてもありがたいと諸手をあげたくなったのですが…。赤倉では、毎日大池の除雪もして下さっている赤倉に2人しかいない運転手が、この豪雪で今にも倒れてしまうのではと心配されるほどの疲労状態にあったり、個々の雪掘りをしても除雪が間に合わないような状況だという。そして大池では、本村に住むおばさんが冬の間娘さんの住む千葉県へ行く事を余儀なくされたり、孫吉さんも町に下り週末に雪掘りをする為に通って来ている。私たちは美術館と6軒の雪掘りに追われる日々…。また館長は大池地区代表として、本村の方々が町へ下りる事を余儀なくされている状況が少しでもよくなるように赤倉や市と掛け合ったり、除雪作業も行いながら…。この歴史的な豪雪で怒濤のように現れてくる問題が私たちの頭を悩ませています。
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ミティラー美術館

濃緑の森にある廃校になった小学校を利用し、1982年に設立された私立の美術館。ミティラー画をはじめ、インドのコスモロジーあふれる豊かな民族(俗)芸術を収集、常設展示しています。また、来日するインド人描き手の新たなアートの創造の場となり、その作品群はインド政府より量と質において世界に類がないものと高く評価されています。この美術館を拠点に全国への「出張展覧会」や、南の国の文化紹介などの文化活動をしています。2004年10月の新潟県中越大地震で被災のため、1年9ヶ月間休館しておりましたが、2006年7月22日、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2006協賛「インド民族アートの世界」展にて再オープン致しました。

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