2014年7月1日〜8月31日まで長岡市栃尾美術館にて開催されている当館のコレクション展の作品解説を行います。展覧会の詳細はこちら



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オープニングでご挨拶されるワドワインド大使


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展示室I、に最初に展示した絵は、故インディラ・ガンジー首相文化遺産顧問、ププル・ジャヤカル女史がミティラー美術館に1987年寄贈してくれた古い時代のミティラー画。ピカソのような自由さがある。当時よくこんな貴重な絵を下さったと思ったが、ジャヤカル女史がなくなった後も、このように展示されるということを女史は思っていたのだろうか。インダス文明の有名な踊り子像のようなものをご自宅にお持ちだったが、今はどこにいったのか、然るべき所に収まっているといいのだが。


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左の絵はアメリカのネイティブインディアンを思わせるような服や頭飾りをしている。ミティラー画で最初にナショナルアワードをとったジャグダンバ・デーヴィーさんの貴重な絵。右側のサラスヴァティーの絵はマハースンダリー・デーヴィーさんが描いたもの。昨年、亡くなった時、ビハール州のチーフミニスターが彼女の家の前で「日本にあるミティラー美術館のようにミティラー美術館を作らなければいけない」と言ったという記事を見たとインドの知人から報告があった。真偽のほどは分からないが、その方が今年の選挙で再選されたのであれば、ミティラー美術館に招待したいと思っている。


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シーター・デーヴィーさんの作品2点。シーター・デーヴィーは夫を亡くして以来、白いサリーを着て過ごしてきた。彼女は階級外の貧しい描き手たちにも食べ物をあげたり、相談に乗る典型的な優しく芯の強いミティラーの婦人で、描かれる絵はミティラー画のシンボルのような絵である。左の絵のドゥルガー女神が乗っているライオンの少しモダンな色づかいはデリーの国立手工芸局博物館に滞在中に著名なデザイナーからアドバイスを受け、このようになった。シーター・デーヴィーは主に線を描き、息子が色をつける。ミティラー画の代表格の人だが、今はもう亡き人。ミティラー美術館には、かなり褪色してしまったが、彼女の4m近い大作が常設されている。


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ワドワ大使はインドのフォークアートに関心を持つ外交官。昨年10月、新潟の経済人を集めた彼女の講演会の時にミティラー美術館を訪れた。これで4年連続してインドの大使が訪れたことになる。地方の都市としては今までにあり得ないこと。その時に、お土産にミティラー画が描いてある服をプレゼントしてくれた。


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今回の展覧会では13点のガンガー・デーヴィーさんの作品がガラスケースの中で展示されている。ガンガー・デーヴィーはミティラー画の代表というだけでなく、インドフォークアートを代表する人。半分近い作品が、ミティラー美術館に収蔵されている。ププル・ジャヤカル女史は彼女のことを「ピカソに比するエナジーの持ち主」と私に言った。


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手前に展示されているテラコッタは貝から生まれたガネーシャ神。ビハールの陶工、ララ・パンディットの作品。1993年、1月末の豪雪の時期に高円宮殿下、同妃殿下がガンガー・デーヴィー追悼展に来られ、大池にある美術館の月見亭に一泊された。高円宮殿下は、東京の展覧会に数回来て下さった。墨田区役所のギャラリーで展示したとき、この同モチーフのテラコッタ「シェルガネーシャ」をお気に召されたようなので差し上げた。青山御所の宮家に今も飾られているのだろうか。


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オープニングの後、絵の解説をして回った。


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左の小さい絵は「上弦の月を喰べる獅子」。夢枕獏さんがこの題と絵にインスピレーションを受け、7年書き続けた同名タイトルの作品で日本SF大賞を受賞された。その話を早速、癌の治療中であったデリーの国立手工芸博物館にいるガンガー・デーヴィーさんに電話をし、学芸員に伝えた。そこは常に50人ほどのアーティストが全国から集められアーティスト・イン・レジデンスをしている。訪れたお客に直接、作品を販売することもできる。学芸員が声をかけると、アーティストがガンガー・デーヴィーの周りに集まって来た。このグッドニュースを話すと、ガンガー・デーヴィーは泣き始めた。私は神様の月を食べるような獅子を描いた覚えはない。アーティスト達は笑った。素朴で信仰心100%のガンガー・デーヴィーを物語るエピソードの一つ。最後にはパドマ・シュリアワードを受賞した。賞を貰えば貰うほど、彼女は神に感謝をし、経典を読む時間が長くなる。ネパールに近い彼女の村の土壁の家の外には長谷川ポンプと名づけられた手押しポンプがある。朝、寒い外に出て水を汲み沐浴。そしてラーマーヤナ経典を2時間読む。寝る前にも同じことをする。インド政府は賞を沢山あげたが、絵を描く時間を彼女から奪ってしまった。その後、彼女に会った時にライオンのお腹に描かれた文様はただの文様なのにと私に言った。私はインドのどこかで聞いた神話で、宇宙全体のようなライオンがいて、そのお腹には月も太陽もいる。そんな話から、題のなかった絵に題をつけたのだと言うと、長谷川はうまいことを言うんだからと何とも言えない顔をした。


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国立手工芸博物館にはアメリカのフェスティバルオブインディアに参加したとき、初めて見たジェットコースターを描いた作品がある。この絵は私に特別に描いてくれた汽車の絵。


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左の絵はスーリヤムッキーの木。癌になったガンガー・デーヴィーはデリーの国立手工芸局博物館に滞在しながら、国立の病院で治療していた。私がそこを訪れると、館長のジェーンさんから15万円くらいだったろうか、抗癌剤の半分をだしてくれないかと言われた。ソニヤ・ガンジーに頼んであるので必ずくると思うが、間に合わないのでと言うので、バタバタに乗ってオールドバザールに飛んで行き、薬を手に入れ渡した。そのこともあるのか、ガンガー・デーヴィーは自分には3人の子供がいる。その中の一人は長谷川だと何度か私に言った。もう一人はジェイン館長。この作品は名古屋デザイン博覧会の時、ミティラーの描き手7名だったが、それと小学生の少女5名が外国館の展示ブースの関係で招待したときに一週間だけの許可をもらって日本に滞在して会場で描いたもの。この時、シーター・デーヴィーさんも息子と初めて来日。みんなが行くので自分もと言う気持だったのか、医者の許可が2週間取れたと言う。医者に会いに行き訪尋ねると、笑いながら女医はでも2週間だけと言われた。デリーの空港までは彼女も知っているインド人のオーピーさんに同行を頼んだ。一人で来た彼女を成田空港で迎え、私の車で名古屋のアーティスト達が宿舎にしている一軒家に2人だけで向かった。私はヒンドゥー語が話せない。彼女は英語が話せない。食事は問題なかった。何度も私はタイミングを見て、タリーピジェイ?ガナガイエーと、椰子酒を飲まないか?歌を歌わないかと冗談を言った。椰子酒の話の度に小柄の彼女は両手を上げ、目をむき出し怒った顔をする。雨が激しくなり、途中前の方でパネルバントラックが横転した。彼女は助手席で寝ていた。気づかれないように危ない中、何とかかわし無事に宿舎についた。到着を皆が驚き歓迎の歓声があがり、よく一人でと、皆んなは彼女をじっと見つめた。ガンガー・デーヴィーも嬉しそうだった。私は心の底からほっとした。
癌が止まり、平安な心持ちになれ、死から蘇って描いた絵がこの作品。平安という名の世界が、そして静かな希望がこの作品にある。その後も来日してこの絵を完成させると言ったのだが、私は断った。このままで充分だった。再び翌年、来日がかない、高さ3m近い「スーリヤムッキーの木」を描いて貰った。半分ほど描いて、インドに帰国。その後癌の後遺症で帰らぬ人となった。その大きな「スーリヤムッキーの木」は彼女の集大成ともいうべき作品で、遺作となってしまった。その時、病院にいたガンガー・デーヴィーの部屋に故ラジブ・ガンジーがソニア・ガンジーから頼まれて病床の彼女に声をかけた。今は政権が代わり、最高権力者のソニア・ガンジーとも会えるかもしれない。シーター・デーヴィーは村では裸足で生活している人、息子とデリーに行くと、息子にインディラ・ガンジー首相の所に電話をかけさせた。首相は夕食に彼女を招いたそうだ。文化大国の名に相応しい首相の態度だとその話を聞いて思った。


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この「人の一生」という作品は、今のミティラー美術館の活動にもつながる絵。88インド祭という日印の国際交流では最も大型な催事で、当時の財界のトップ小山五郎氏が委員長を務める日本委員会ができ、その事務局長補佐に私がなるきっかけにも関係している。インド文化戦略として世界で行われるフェスティバルオブインディア(『インド祭』)の始まりにも関係している。ビートルズが活躍する時代になると、インドは安い布、貧しい布といった印象を世界で持たれるようになっていった。それまではイギリスの貴族たちも力があり、インドの手工芸者たちが作った布や家具、金属製品など、2年3年かけて作られ、価格も100万円を超えるようなものが彼らに買われていた時代があった。そのようなことがなくなってくると、インドの伝統工芸の維持もままならなくなる。インディラ・ガンジーはププル・ジャヤカル女史と話しあい、両国でフェスティバルオブインディアを、二国間交流として始める。海外での『インド祭』がスタートする。大英博物館でアディティーという人の一生をテーマにした手工芸の展覧会が開催された。その目玉として描かれたのがここにある、「人の一生」と言う作品。揺り籠から墓場までツタを使った籠や紙粘土の人形など様々な作品が人の一生をテーマに展示された。ガンガー・デーヴィーは会場でこの絵を描いたが、完成することはなかった。その後土壁の家に燈明の明かりで、この大きな作品を描き続けた。一度に広げるようなスペースがあるわけでなく、巻物のようにして、描くスペースだけ広げ、描き続けた。周辺部分を飾る小さな絵一つとっても上弦の月に比するレベル。意気を抜くことなく全画面を描くということは普通の人にとって、あるいは挑戦したとしても不可能だろう。沐浴と経典の時間が2時間、それを一日2回。菜食の生活。神に感謝し、そのような敬虔な純化された魂と心がなければこの絵は描けない。この絵が日本に来たいきさつは「宇宙の森へようこそ」拙著に書いてある。日本に行ってしまったこの絵と同じものをというププル・ジャヤカル氏の要望に応えて、写真を送ってほしいと私にガンガー・デーヴィーが手紙を出した。フェスティバルオブインディアはドイツ、フランス、スフェーデン、ノルウェー、ソ連、様々な国で行われ、アメリカでは1年半におよんで開催された。ワシントンスミソニアン博物館アジア・アフリカ館でのアディティー展で2作目の「人の一生」を彼女は全く同じ様に描いた。それは国立手工芸博物館に収蔵されている。そのフェスティバルが1988年に日本に来たとき、日本の主な大都市5ヶ所程度で開催されるということを知ったとき、疑問に思って日本委員会の事務局を訪れた。新潟や十日町や地方都市で開催しないのかと松本洋事務局長に言うと、君の考えはいいけど、人手がないからできない、と言われた。その言葉に応えて、協力することになった。そして事務局長補佐になり国家催事を北は網走から南は与那国まで展開した。その時の経験と人脈、ネットワークがその後の活動につながった。現在、日印の国家催事、特にインド政府が日本で展開する催事の主要な役割を担っていますが、そのきっかけがこの絵画にあったのです。しかも、ロンドンでのインド祭の年はミティラー美術館のオープンの時と重なり、招待されたガンガー・デーヴィーさんとミシュラ手工芸局長は日本に行くためデリーのホテルから空港に向かおうとしていた時、ププル・ジャヤカル女史が来て、「国の大事な催事が控えている、病気がちのあなたは人の一生の絵が遅れている。日本には行かないで下さい」彼女は涙を流して、行くことを断念した。その年の秋、日本に来日。今も残る、美術館の壁面に「クリシュナとラーダー」の絵を描いた。彼女の涙は、宗教的で真面目な彼女は約束していたのに行かないと長谷川が大変困るのではと、彼女は自分を許せなかったようだ、国家の重要なこと、その様なことは村の1婦人の世界を超えた話。しょぼんとして村に帰ったとミシュラ氏は日本に来たときに彼女について話した。


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左の絵はガンガー・デーヴィーの結婚式。同様の絵で結婚儀礼を中心とした壁画をデリーの国立手工芸博物館の一室を使って大作を描いた。色は自然彩色ではなく、これを使うよう与えられた色を使い、カラフルに描いた。彼女はカーヤスタ出自で、白黒の絵画が伝統的に基本。もともと壁画で絵画を紙や布に描くことで、つけペンを使い始めた。竹を削って、ランプの煤にガムと言われる松ヤニのようなものを混ぜて描くのだが、ペンを使うことで自ずとテクニックが発達し、アートとして発展した。紙に描かれた作品は土壁の上に描かれたような素朴さがなくなる。そこで、日本ではコンクリートを塗った擬似壁を作り、本来の手法で、1988年以来、描き手を延べ100名ほど招いて、描いて貰ってきた。土壁に描いてもらっても、保存できないからだ。国立手工芸博物館では、土壁に描いてもらったために、ガンガー・デーヴィーの部屋は雨漏りやその他の理由で人に見せられる状態ではなくなったそうで、ガンガー・デーヴィーの部屋は閉められている。美術館の外の壁には大きな素晴らしい絵が今も描かれているが、その描かれている前には、ジヴヤ・ソーマ・マーシェやシーター・デーヴィーの素晴らしい絵が描かれていた。当然雨露にあたり、あるいは風化し、その度に壁が塗り替えられ、また他の作家によって描かれる。保存しようという意図が希薄なためインドのフォークアートの作品は散逸してしまっている。その意味でミティラー美術館がスタートするにあたって、ガンガー・デーヴィー女史から私たちは貧しいから助けてほしいと言われたことがきっかけで、ミティラー美術館を始めたのだが、その時に散逸している浮世絵のことを思い、一堂にきちっと集めれば小さな美術館でも世界に役に立つようなことになるのではと始めたコレクションは、33年継続すると、貴重な文化遺産となった。


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左側はボーワ・デーヴィーの靴。1989 年フランスの国立ポンピドゥー現代美術館で開かれた「地球の魔術師たち」展にインドのフォークアーティスト2人が招待された。今回展示している作者、ボーワ・デーヴィーとゴンド画のジャンガル・シン。これはマルタン館長が、ピカソに代表されるような西洋世界が上で、第三世界や発展途上国の作品が下というのは、植民地時代の名残ではないかと疑問を持って、その国の伝統に基づく現代アーティストを50名世界から集め、もう50名を発展途上国から招待し、差別無くごちゃ混ぜにして、周辺3会場も加えて展示、世界にメッセージを送った展覧会。マルタン氏は日本に3回ほど来ているが、講演で同じ話をしているが、何も日本は変わらないと言っていた。明治以来、西欧偏重の日本社会は今日、東アジアとの貿易総額が半分近くにまでになってきている、その意味で今までの視点を変えるときに日本もきていると言える。今回公開されているような作品群は、日本の主要美術館で扱われることは殆んど少ない。

右側の月をテーマにしたジャムナー・デーヴィーの作品は、そのマルタン氏の考えに埼玉近代美術館の優れた現代アートとともにこの作品他が展示されたことがあつた。当時、鶴ケ島市のパプアニューギニアのコレクションも加わりミロ、ピカソなどとごちゃまぜに展示されて面白かった。
このジャムナー・デーヴィーは階級外の人で、自分の名前も書けない人。現地を訪れ、村々を周って絵を購入する。できるだけ現地価格で。大勢にいつも囲まれる。最低1枚は来た人から買うことにした。売っている色はダメ、自然彩色で万年筆やボールペンはダメ、付けペンで、機械的に描く線はダメ、燃やしてしまった方がいいような絵を日本に持っていく必要があるのか考えたこともあった。ジャムナー・デーヴィーの絵は、彼女が描く月だけを買っていた。行くたびに月がうまくなって、次第に月だけの絵を大きく描いたり、大きな紙に4つ描いたり、その倍描いたり、いつのまにかこの絵のような素晴らしい月が生まれた。病気になった彼女が病院に行っても治らなかった。彼女はオジャという女性の祈祷師に自分の体の中に入っている禍をおこしている魂を出してもらう。ハリジャンと言っても様々なコミュニティーがある。彼女の住む所にいくと、道そのものが平らではない。何とも美しい、外側の土は牛糞で塗られている。牛糞と言っても、新しいものを水でといて、布でこしたもの、ポンペイの遺跡でも使われたと言われている。土壁をしっかりさせる大事な文化だ。村に入ると、その土壁にワラビ文様や二重文様が描かれ福岡の装飾古墳のようでもある。所謂、鬼瓦のようなもので、あるいは玄関の軒先にとげとげのフグを飾ったり、酒屋の前に丸い何とも言えない物を飾るのと同じ。つまり、我々の周りには常に禍を起こす魂がある。そのように考えるアニミズムの世界がこの壁画のもっとも根本的な生まれた理由。太陽は日照りをもたらしたり、怒ると怖い。その意味で強い神様。子供ができるようにと大事なお願い事は池に身を沈め、昇る太陽に祈る。満月の晩は、雨が降ろうが、曇っていようが、経典を持ち出し、月の神様がいる方向にお祈りする。月や太陽という宇宙の運行とともに、あらゆる生き物たちと同じように暮らしている。見えない物への祈りや畏怖こそ、切実な生活の中で、気持ちを込めた魂の絵となる。教育が施されるようになり、科学的に物事が考えられるようになるとアミニズムは次第に薄められ、コスモロジーの絵画はデザインのようになってしまう。ここに展示されている作者たちはまだアニミズム的な世界が残っている人たち。


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ゴーダーワリー・ダッタさんの作品が5点展示されている。彼女が来日し、伝統壁画を描いていく中で大きな変化が見られてきた。それは現地ではガンガー・デーヴィーやシーター・デーヴィーが賞を取って有名であったとしても、それらの作品をじっくり見ることはできない。そのような美術館がないからである。特に私的要素もあり、負けず嫌いの彼女はガンガー・デーヴィーと滞在したり、彼女の作品群を見たことは彼女に大きな刺激を与えたようだ。伝統的な作品を日本でいくつも描いた彼女は他に何を描いたらいいかと尋ねる。神様に聞きなさいと言っても、教えてくれないという。それなら、ヴィシュヌ神が持つ、チャクラをつまり、円盤のような手裏剣を一間四方に描いてみたらとボードを渡す。そういう会話の中で、次はトゥリシューラ、高さ3mを越えるシヴァ神の持つ三つ叉の槍を描いて貰った。とても滞在中には無理です。構わない。来年、または来られるときに来て続きを描いたらいいと。このような対話の積み重ねで生まれた作品。2年かかった大作。


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右の絵は、ゴーダーワリー・ダッタの妹のサシカラ・デーヴィーが描いたもの。ヤシの木に登って、ヤシ酒を作っているところ。髪の毛が長い男は私がモデルだと言う。


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この仮面は一昨年来日したプルリア・チョウのグループから購入した実際に演舞で使われた仮面。ガネーシャ神。


第2会場展示室兇魯錺襯蝓鴫茲中心。
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この作品はジヴヤ・ソーマ・マーシェが描いたタルパーダンス。昨年、北海道二風谷のアイヌの方々を総勢21名でインドを訪問し3公演をしたとき、ムンバイから北へ車で3、4時間のところにあるワルリー族の村を尋ねた。その時も、タルパーダンスを歓迎の踊りとして子どもたちが踊ってくれた。


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瓢簞を使った笙の原型の楽器、ヤシの葉をぐるぐる巻いてラッパのようにつけてある。これを鳴らして音頭を取りながら、タルパーの吹き手があちらこちらに動くと踊り手たちの群舞が右へ左へと動いていく。


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ミティラー画の成功を受け、インド手工芸局はワルリー先住民のもとを訪れ、5人の描き手を選んだ。結婚儀礼の時に赤土を塗って描かれる彼らの絵はロックペインティングを思わせる描き方だ。儀礼の絵は女性たちが描くのが普通で、4名は女性たち。1名はユニークな絵を描くジヴヤ・ソーマ・マーシェさんが選ばれた。女性たちは儀礼の絵しか描けないが、ジヴヤさんは次から次へと神話を描き、思いもかけない絵を描いた。このジヴヤさんからワルリー画が始まったと言ってもおかしくない。ジヴヤさんが東京のたばこと塩の博物館でのインド民俗アート展で公開制作をしたときのこと。宿舎の浅草橋から会場の渋谷まで息子サダシと通っていた。ある時、ジヴヤさんは私に言った。ここは烏の声しか聞こえない。牛も鶏もいない。人は地下に入って、モグラの乗り物に乗っている。
昨年お会いしたジヴヤさんは元気そうだった。農作業などの重労働で鍛えた体のせいか。パドマシュリアワードを受賞し、土地と建物を貰い、レンガ造りの感じのいい家にサダシの家族と暮らしている。ガンガー・デーヴィーも悲劇の人生を経てきたが、ジヴヤさんも同じだ。小さいときにお母さんが亡くなり、人の家に兄弟で預けられたが、あまりに厳しい仕打ちに合い、兄弟たちは逃げ出してしまった。残された彼は失語症となり、絵を描いて気持ちを表現するしかなかった。その後話せるようになったが、この経験が彼の天才的な絵画を発展させていく。ジヴヤさんは今はほとんど描けない。日本に来て描いた大きな大作が美術館に収蔵されているが、あまりの数のため、なかなか公開できない。彼の作品は大変すばらしいものでジェイン館長は5人のアーティストを選んで一冊の本を書いている。その中に、今回公開している3人がいる。ガンガー・デーヴィー、ジヴヤ・ソーマ・マーシェ、ジャンガル・シン。もう一人はニルマニ・デーヴィーというインパールの陶工。彼女も日本に来て、たくさんの作品を残していった。1ヶ所に持っているという意味では、この4大アーティストの作品を世界で一番コレクションしていると言えるだろう。
ミティラー美術館の次なる活動は当然、この素晴らしい作品に対する国際的評価を高め、多くの人々に触れる機会をつくることと思っている。


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右の絵の祠を描いた絵はジヴヤの息子のサダシ。米の粉に水を入れ、何日かおいて少し発酵させたものを絵の具として、竹の爪楊枝の様な筆で描いていく。描いた時は水っぽいのだが、水分が蒸発した後、砂糖菓子のように少し立体的な絵となる。白が大変美しいので、ワルリーの石の神様を大きく描いてもらった作品。左はジヴヤの「魚を捕る大きな網」。


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ジヴヤ・ソーマ・マーシェの傑作、「村の結婚式」。真ん中に馬に乗った神様がいて、現地では石版のレリーフ。供物を持って、今日の結婚式が無事に済むようお祈りする。なぜなら、悪い霊や邪視というものは人々が喜びをもつようなことに邪魔をしたり、嫉妬をするからだ。今日は晴れの結婚式。左ではヤシ酒をとろうとしている。


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下は結婚式の時に使う杖のようなもので、瓢簞がくくりつけられている。上は結婚式の時に使う枝を神木から切るために捧げ物をする。


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枝を持って、村中を楽隊が先導して、今日の結婚式を告げる。
下の真ん中には先ほどお祈りをした神様が馬に乗って守りに出てきている。


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花嫁のところで壁に儀礼の絵が描かれる。


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もうひとつの祠にもお参りをする。その左側には頭を振り乱した悪い霊が聞き耳を立てている。


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結婚式まで新郎新婦は互いの顔を知らない。二人の間には布の仕切りがされている。


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結婚式が始まるまでの家の中での儀礼が行われる。


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天上には籾の入っている袋が用意され、紐をひっぱり新郎新婦にかける。


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儀礼が終わった後、訪れた人に新郎新婦は酒をついでいかなければいけない。


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真ん中は巫女だろうか、何か意味があるに違いない。


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楽隊を中心にして踊る。新郎新婦を肩に載せたり、腰にかかえたりしながら、楽しげに踊る。村人


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単純な手法なのに立体的な絵だ。つまり、描き手は、精霊までを含み彼にとって現実の世界を描いている。


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別な儀礼が始まっている。虎も出る森で、巫女が牛車に乗ってやってくる。村人たちが米を持ち合い、巫女に占って貰う。今年収穫があるか。


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左の方に描かれた三角形は、道祖神のようなもの。先祖の神だったり、左側は石のレリーフで描かれた虎の神様がいる。儀礼の周辺にも村の生活が描かれ、1本1本の木が豊かに表現され描かれている。森のことを大変よく知っているジヴヤ・ソーマ・マーシェである。


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「月から雪の大地に落ちた枯れ葉」や「パルガット女神の足」を描いたゴルカナの解説をしている。


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ゴルカナさんは大変しっかりとした人でワルリー族の彼らを呼ぶときには必ず来てほしい人。彼の描く作品はミュージアムショップではいいが、展示には相応しくなかった。そこで日本に来て、7、8回目だろうか。どうしたら絵がうまくなるのか聞いてきた。というのは、各地の展覧会で彼の絵を出したことがなかったからだ。
ジヴヤさんの絵を見てみて、木の葉っぱ形が一枚一枚違うでしょ、あなたの描く木はまっすぐで、葉っぱもほとんど同じ、風なんか吹いてないでしょ、と言うと、翌日彼は描いた絵を見せてくれた。木はカクンカクンとぎこちなく曲がっていた。葉っぱはどれも違っていたが、固くて、人口の葉っぱをつけたような感じ。一ヶ月ぐらいそんなようなことをやったが、彼は変わらなかった。それでも自分なりにうまくなろうと努力しているようだった。冬に滞在している時、月見亭の屋根の雪掘りを彼らも手伝い掘った。一緒に歩いていると、道に枯れ葉が落ちていた。葉っぱといっても冬なので葉脈が残っているようなものだった。それを取り上げ、これを描いてみたらと言ってから一週間ぐらい経って、何枚か彼が描いた枯れ葉を見てふと思いついた。あなたの線はどうしてもジヴヤのような、あるいはサダシのような柔らかい線にならない。この枯れ葉の絵を線を使わないで描いてみたらどうだろうか。周りを埋めて線を作りあげる。という会話の後で素晴らしい「枯れ葉」が生まれた。最初から大きな絵を描いてもらった訳ではなく、小さいものから順番に大きく描いてもらって、とうとう素晴らしい枯れ葉の大作が生まれた。そこで今度は、神様の足を描いてみたらと言ったら、そしてこの作品が生まれた。足の下にある点々はお米だそうだ。


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神様の足の下にある米が面白かったので、大きなキャンバスに全部お米を描いてほしいと言った。冬だったので、彼らの住む元教員住宅にはカンジキを使ってあがらないとダメ。1mの積雪が2m、3m、4mとなっていく。彼らが住む宿舎も雪に埋まり、家に入るために雪をどかさないといけない。何回か家の雪掘りをすると小屋根のところまで雪がきてしまう。そんな時は大変細い道だが、コンマ4のバックフォーで上がらなければいけない。滑ると右側は崖。バックフォーの手を使ったり、なんとかして上がり、家の雪をどかす。そんな作業が一冬で4回ぐらい起きる。孤独にならないようにと、毎日1回くらいは絵を見に行く。ただ雪掘りを手伝ってくれるときは、絵は休み。米そのものは面白いが、形が富士山のようでつまらない絵になったなと思ったが、そのうち、頂上に人が描かれるようになる。よく聞くと貧しいけれども、人々に尽くす人に神様が籠でお米を出してくれた。するとその籠から止めどもなく、お米が出てきて山となる。そんな絵だそうだ。米一粒一粒、近くでみると見応えがある。


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他は何も描かないようにとアドバイスをした。お月様をというと、月が生まれた。このようにして創造したゴルカナさんの絵は東京のたばこと塩の博物館の展覧会でも公開されるようになった。驚いたことに、ガンガー・デーヴィーの絵よりこの絵が好きとう人が出現した。


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新しい作品が、人々の感動を呼ぶようになってくるとゴルカナさんも絵の描き方に、気持ちの入り方が違ってきた。お米の次は何か、こちらも何か考えなきゃいけなくなってきた。彼の良さは点や色を塗ること。次の大作は汽車だった。


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これを描いた時には、東日本大震災があった年。私は市から委託され、部落内の道路除雪をレンタルのタイヤショベルで朝4時くらいから始める。部落から出勤する人がいないため、出動の時間を遅くしたりもする。公的な除雪を終えた後、美術館前の除雪をするとき、エンジンを掛けっぱなしのまま長靴のままで、美術館の玄関から彼が描いている2階の制作室へ上がって行く。素晴らしい汽車が出来はじめていた。


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機関士は私がモデルだそうで、パイプを吸っている。


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インドの汽車は屋根にも人が乗る。


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乗っている人々がいろいろなことをしている。


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汽車自体も形が一つずつ自然な感じに描かれている。
汽車を描いた後、このくらいの感じで何かデザインを考えてと言って写真を撮ってコピーをして汽車の絵を何枚も渡して、汽車の周りに枠を描き、その中をデザインしてもらった。点を描いているのが良かったので、それにすることに決める。ところが小さなコピーに描いた形とは違っていた。小さな絵から大きな絵に正確に移すことはできないようだ。汽車の周りの点の形が、結構不格好なナマズの頭のようになっている。どうしたら汽車の周りの点の形を小さなコピー用紙に描かれた形のように移すことができるか。描く絵を縦横、6等分や12等分に印をつけ、元の紙の絵にも同じように印をつける。紙のほうは縦3と横4の方にでっぱりがきているが、あなたが描いたものは全然違うという会話を、積み重ねて転写がいい形で進み、この汽車が生まれた。右の空間に何か描いた方がいいねと、このくらいの大きさでと言うと、何を書いたらいいかと尋ねるので、自分で何枚か紙に書いてみたらと言うと、それでも長谷川さんが決めてと言うので、飛行機でも描いたらと言った。次の日にも長靴で制作室にあがっていくと絵が完成されていた。ゴルカナと私はこの絵の前で喜んだ。実に素晴らしい絵だ。


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ジヴヤの息子に天才肌のバルーがいる。彼の描くキツネや馬のたてがみなど、ミロが描くような美しい線を描く。小さなワルリー画の中のキツネや馬を大きく描くことを勧め、周りに何を入れるか、話しながら、決めていった。


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ジャンガル・シンの描いた飛行機。彼が1回目に日本に来たとき、たくさんの絵を巻いて持ってきた。ほとんど絵は売れないそうだ。政府はオーストラリアの展覧会に派遣したりするけれども、絵は買ってくれない。作家が成長するためには描いたものがすべてはき出され、白紙から次の作品に向かうようなことが望ましい。デリーの国立手工芸博物館での5大アート展で、彼の作品のところにプロフィールといくつかの小さい写真が貼られていた。その1枚に目がとまった。彼が働いているミュージアムの壁に描いた飛行機。その展覧会会場には、飛行機の絵は一枚もなかった。彼が来日したときにその飛行機を小さな紙に描いて貰った。美術館の応接室にも大きな飛行機を描いて貰った。しかし、素朴ではあるが、緊張感がかけている。もうちょっとパワーのある絵になったらいいかなと思った。この応接室の漆喰の壁に描かれた飛行機は10年前の中越大震災ですべて剥がれ落ちた。貴重なものなので、そこの場所は私だけでビニールにすべてその落ちた壁を入れて保管しておいた。現在は応接室に半分以上復旧している。傷だらけな飛行機だが、やはり素朴な良さがある。飛行機といっても、1988年のインド先住民族展、埼玉県立近代美術館に招待された時、彼は初めて飛行機に乗った。大きな鳥に乗ったと思ったのか、描かれている飛行機の後ろは鳥のようだ。


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彼はアクリルペイントを使う。文様はまるで青海波。絣もオリッサから日本に来たと言われているし、こうした文様も伝わってきたのかもしれない。


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虎の手が素晴らしい。このような絵画をもっと多くの人が見た方がいいと私は思う。


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